エレカシブログ 俺の道

ロックバンド・エレファントカシマシ、宮本浩次ファンブログ

2022年9月27日 宮本浩次、『GROOVE LINE』ラスト出演。

俺はとんでもなく怠惰な人間で、10月初旬、もうradikoでも聴けなくなった頃にアップしようかと思ったら、1ヶ月以上も間が空いてしまう始末。こんなペースですが宜しければお付き合い下さい。
まあ余計なことはいいので、本編ですね。

「RAINBOW」が流れる中。
ピ 来ました!宮本浩次
宮 こんばんは、宮本でございます。本当お疲れ様でした。今日もこんな大切な中呼んで頂いて。
ピ この男のパワーを俺は吸収して生きてきた気がする。本当にありがとうございました!
宮 私、ピストンさんにサーキットに呼んで頂いて。一度だけしか行ったことないですけど。あんとき本当にご迷惑をおかけしちゃったのが、ヘアピンカーブというのがあったんですが、みなさん上手く、ピストンさんを油断してたというか、皆さん凄い方が、タイヤを替え持っている人たちが走ってたりして。私自分の車で行って、ヘアピンカーブって真っ正面が道がなくて、後ろの方に行かなきゃいけないから、毎回一時停止して、周りの人から「あいつあそこで止まっちゃって」と迷惑かけたのが、この場をお借りして、すみませんでした。
ピ あんときびっくりしたのがですね、宮本さんの車のボンネット開けて、そこに自分のビデオとかすっごいゴミが沢山入っていて。
宮 家の家財道具とか入っていて(笑)。
ピ そうそうそうそう(笑)、外車のスポーツカーなのに、ズラッーとそういうのが出てきてビックリしたのと、あとあんとき雪が降っていて、そのまま滑っていって、水の中に車ごと落っこって、大笑いしていたのを引いてて
宮 みんなでバケツで水を出していたのを横で見て、これは大丈夫なのかと思って。でもそのまんま帰ってましたからね。
ピ (車の)コンピューターをドライヤーで乾かして、エンジンかかるまで待ってたからね。
宮 楽しい思い出が沢山ありますけどね。
ピ HMVのスタジオで、今も話していたんですけど、宮本さんいきなり大暴れして机の上に立ってたのをずっと覚えてますよ。
宮 いやいやでも、ピストンさんのラジオ、ライブというか、コンサートに参加している感じっていうんですかね、普段と違う、乗せられるっていうんですかね。「ミヤジが来たぜ!」って、お客さんがいたじゃないですか。
ピ 店の中なのに阿鼻叫喚ですからね。ああいう空間って。ラジオってすごい力があるのに、今自分を全てさらけ出すというのがないですからね、あんまりね。
宮 あー。
ピ パワーを感じて頂けたと思いますよ。とにかく僕は、勝手だけれど仲間だと思っていて。思考回路や脳の構造やスイッチの入り方や好きなことなど、もう分かるんですよ!
宮 そうですか(笑)
ピ そこんところをちょっとくすぐると、入れ食い?と。宮本さん喜ばせるの上手ですよね?
宮 ファンの方とか、なんと言えばいいんですかね、憶測、奥底?表面じゃないところって言うのかな。そういうところをピストンさんと話していると、さらけ出される、自分では気づかないところというのを後で、結構短いこの5分10分というピストンさんのGROOVE LINEに出た後は、エレベーター内で憔悴っていうんですか、たった5分がライブ一本と言ったらあれですけど、楽しさと臨場感、普段出せない自分というのをさらけ出してたってのが帰りのエレベーターで「うわー」って顔が真っ青になってるくらい、エネルギーを使って。
ピ でもね、僕と同じ脳の構造とするとですよ、ドーパミンがバーッと出る、ダムが決壊するじゃないですか。それでライブ、ガーッと行けちゃうんだろうけど、僕らの頭の中って、身体関係なくドーパミン出すから、後から身体しんどいのが、後から分かる。
宮 そうですね、それはあるかもしれません。
ピ ライブとか・・・。
宮 コンサートとか、それはそうかもしれません。ライブってのはやはりいいことしか考えない。みんなそうだと思うんですけど、集中してるとね。集中できる場所があるってことはそういうことだから、やっぱコンサートとかリハーサルとか・・・。
ピ リハからその状態なの?
宮 そうですね、リハやっぱり本気でやらないとですね、最後はヘロヘロになるぐらいまでリハをやって、それでようやくちょうど良いくらいですかね。コンサート本番。
ピ メンバー、中学生くらいからでしたっけ?
宮 そう、中学、高校。四人なんですけど、四人のうち3人が中学校、1人が高校時代、40年になりますね。
ピ その頃から一緒ですから、おかしくなりようが。
宮 ああ、当時は分かってなかったというか、必死に週に2回3回練習して、修学旅行も行かないで練習して。そういう意味では40年・・・。
ピ 修学旅行のお金スタジオ代に使っちゃったの?
宮 いや、どうしたんですかね。最初に積み立ててたんですよ、高校時代は。親が積み立ててくれて、多分8割くらい返ってきたんじゃないですかね。あれ全額は返ってこないんですよ。8万円くらい返ってきた気がする。10万ぐらい積み立ててた・・・。
ピ なんで、それはパンクな精神で行かなかったの?
宮 いやいやリハがあるんですよ。週に2回リハをやってたので。
ピ 真面目、意外に。
宮 バンドのリハがあるから、修学旅行悪いけど行けないって。
ピ でも周りは理解しないじゃないですか。プロを目指したってさあ、みたいな。
宮 あぁー・・・・・・。
ピ そこはもう負けないで、四人で行くんだという。
宮 ところが深く考えてなかった。大人になったってのは、ここほんと4~5年ですね。ソロの活動を50歳の時くらいに、『冬の花』とかそういうコラボをやったりとかの中でちょっとだけ大人って言うかなんだろうな。自分の活動ってのを考えるようになりましたね。身体の疲れ方もちょっと違うから。10代20代の時とは違いますから。
ピ 凄かった、(椎名)林檎ちゃんとのミュージックステーション出たとき。
宮 楽しかったですね、あのとき。
ピ だって耳からドーパミン出てるの見えたもん、「入ってる、力」って。
宮 女の人や林檎さんという素敵な方とデュエットするというのが一つあるじゃないですか。格好いい人と歌を歌うってのは。で、ダンサーが一緒に居て、MVの時からそうなってて、ダンサーの人が居るんですよ。「獣ゆく細道」って。椎名さんと二人で歌うって事もかなり浮かれてているのに、女性のダンサーたちが私たちが歌っているところにいて、踊ってくれるんですよ。嬉しくて嬉しくて!しょうがないからダンスシーンが終わった後、私がアドリブでそのダンサーの人と踊ったら、それが面白いってMVの監督の児玉さんが、「宮本さんもう一回頭からやってください」って言われて、一人で最初から最後まで踊ってるシーンがあったりとか、どこかに、一人で踊ってるシーンとかがあると思いますよ。
ピ 凄いですね。
宮 見てこれ生放送って、楽しい・・・。
ピ わっはっはは!
宮 本当に楽しかったです、ありがとうございました。
ピ 俺も楽しかったんですよ、また遊びましょうね。
宮 是非お願いします。
ピ 色んなことして遊びたいんですけど、宮本さんね、結構真面目っていうか、ストイックだから自分のために時間を使うって事も多いと思うんだよ。そこんところは別に邪魔するつもりはないんですけど。
宮 いやそんな邪魔ってことはないんですよ(笑)。
ピ ダメですよ、もう、火鉢とかは。
宮 火鉢、火鉢はもう全然使ってないですね。一個。でも近代との出会いっていうかね、そういう古典的なモノも、和室とかにも憧れている時もありました。
ピ 今はどうですか?今いちばんこだわってるのは。
宮 結局1900・・・、ドイツとか車とかもそうなのかもしれないですけど、デザインっていうのが、ヨーロッパとかイタリア、フランス、ギリシャ、日本もそうですけど、中国、分からないですよ、色々そういう深いところまで行っちゃうとですね、私やっぱり追いつかない、そうするとドイツってどうなんですか、新興国なんですか?詳しくは知らないんですが、ヨーロッパの歴史とか。
ピ 新興国かどうかは分からないけど、他のデザイン性よりも工業的な・・・。
宮 そう!
ピ そういうところに目線が行っちゃってる。
宮 使いやすいんですよね、ドイツ、1930年代くらいの家具とかやっぱり好きですね。
ピ へえー、それはどこで入手・・・。
宮 もともと僕は無理矢理ですからね。好きなモノを無理矢理作るってところがあって、小学校の時もキーホルダー無理矢理集めたりだとか。収集家のクセはある、何かを集めなきゃいけない。工場行ったときのペナントとか、日光行くとキーホルダー買ってきたりだとか。昔ペナントとか飾ってたりする人居たじゃないですか。無理矢理キーホルダー集めたりだとか、ミニカーも集めてましたね。
ピ そういう人と違うところが全部音楽と歌い方と、存在になってますよ。宮本浩次は存在です。
宮 ありがとうございます(苦笑)
ピ 「在り方」ですよ。「こういうものなんだ!」っていう、「納得!」みたいな。
宮 まあそこまで行けるよう頑張りたいですね。
ピ いや行ってますって。行ってますよ。ちょっと一曲聴きましょうか。これも素晴らしいですよ、ベストアルバム「All Time Best」ファイティングマン入ってますよ。

『悲しみの果て』オンエア。

勝手に宮本浩次を「宮」、ピストン西沢さんを「ピ」と書き起こしてからも10年、一旦のラストのタイミングがやってきてしまった。
しかしこのトークもハチャメチャ縦横無尽なんですよ(笑)、上はおよそ10分程の息つく間もない話をほぼそのまま書いてますが、サーキットの話→ラジオ後の話→リハーサルの話→修学旅行の返戻金の話→椎名林檎さんとの話→ヨーロッパの文化と歴史の話→収集癖の話と滅茶苦茶、書き起こす方の身にもなって欲しい。
と、変な悲鳴をあげたくなるくらい、会話は途切れる間もなく続き、そこから意外なエピソードが出るのもこの番組の大きな魅力だったと思います。およそ40年前の修学旅行の返戻金の話なんて普通出ないですよ(笑)。最後のピストンさんの「存在」「在り方」という表現は納得で、私はもう「カテゴリ」「ジャンル」なのかなとも思います。宮本浩次エレファントカシマシというカテゴリやジャンル、そう表現してもいいくらいの存在位置になっていると思います。

サーキットの話は下記ブログを参照に。当時は宮本が「ブログ見させて貰って」と言って、『宮本浩次の口からブログって違和感あるなあ』と感じた記憶があります。ずいぶん遠くまできちまった。
ameblo.jp

男二人のトークはまだまだ続く・・・。

(悲しみの果て オンエア後)
ピ 最後、「オーイェー」って、(ハイテンションで)良いそうなのが言わないところが裏切るんですよ。
宮 ありがとうございます(苦笑)、サラッとしてますね、確かに。昔も憤慨するかヘソ曲げるか、そういう時があったんですよ、若いとき。訳わかってなかったんだろうなあ。
ピ 僕も色々失礼な時あったし、失敗もしてきましたけど、それがないと今はなかったので、僕的には良かったですけどね。
宮 私なんかでも、教習所で、免許が2年間・・・、あの時もピストさんに色々お世話になって、相談しちゃったりなんかしちゃったんですよね。一年間免許取消になっちゃった時があって、そんときに教習所にもう一回通ったときに、一緒に仲間が二人しか、オヤジが二人しかいなくて、私と50歳くらいのオヤジがもう一人居て、「ピストン西沢さんのラジオいつも聞いてました」って最後、言われましたよ、教習所で。何年前だろうな、そういうところでも楽しかった。「また出て下さい、ピストンさんの番組」って言われて。二人で免許取ってて、50歳で、人工呼吸ってありまして、あれでみんな10代だから恥ずかしがって、人形に口つけてやんなきゃいけない、私とオヤジで率先して口つけてやって、「なんとかAED、OK!」みたいなこともやりながら。
ピ (笑いすぎて拍手して)「蘇生しました!」なんて。
宮 オヤジと二人でやってみんなが盛り上がる、みたいな。そんときにオヤジが「ピストンさんのまたラジオ出て下さい」って。しゃべらないのに最後に「じゃあね」って言ったら「出て下さい!」って握手して帰ってきましたね、そういう事もありましたね。楽しかったですね。
ピ 現場本当に持って行きますね。持ってますね、そういうパワーを持ってるんですよ。宮本さんは。
宮 ありがとうございます。

今回一番笑ってしまったエピソード。ってか先生、違反累積かなんかで免許取消になってたんかい。もうクルマは事故のリスクがどうしてもあるから、無理しないで欲しいですね。その免許の再取得や教習所のシステム等々をピストン西沢さんに相談したのでしょうか。
それでもこのAEDのくだりなんかは目に浮かぶようでね。いつだって真剣勝負の宮本浩次が目の前の蘇生訓練に夢中になって。そしてもう一人の「地元のダンナ」がいい味出していて、目の前に宮本浩次が居るというのに、余計なことは喋らずに最後の最後に「ピストン西沢さんのラジオ出て下さい」って握手して別れるってのは、男臭いエピソードで大好きです。



ピ 宮本さん、ライブ疲れてやりたくないなと思っても次の日程来ちゃってやんなきゃなんないなかで、どうやってるんですか。パワー足りないときとかないんですか。
宮 もちろん、でもこれからどうなるか・・・、こないだもコンサート、ヘロヘロになって練習して、お客さんが来て野音で、何回目なんだろう、日比谷の野音ってところでこの間コンサートやったんですけれど、本当に、なんだろうなあ・・・。最高でしたね!
ピ 野音ねえ、子供の頃から野音よく行きましたもん。朝からずーっと、今でいうフェスみたいなこと、10バンドぐらい出るんですけど、好みのやつも好みじゃないやつもずーっと見てましたよ。それがね、アーカイブ配信があるようなんで、明日まで見れます(注・もうとっくに配信終了してます。俺が怠惰なだけです)。エレファントカシマシ日比谷野外大音楽堂2022,Streaming+です。明日いっぱい見れます。配信のチケットも買えますから。キャロルがアンプ燃やしたところちゃんと残ってました?
宮 あ、そういうのあるんですか?
ピ キャロル、最後の野音でアンプ燃やしたじゃないですか。
宮 床が?でも改装したかなんかで残ってないんじゃないかなあ。
ピ でも見えるんですよ、きっと。
宮 私、RCサクセションとか、ストリートスライダーズとか結構見に行きました。
ピ RCも見た。
宮 最高でしたね。
ピ そういう歴史の中に、自分が取り込まれていくってのは、音楽やってて、一つ感慨深いものが、今もう無いかもしれないけれど、最初あったでしょ?
宮 あー・・・、私たち、20、30何回やってるんですよ、野音、そんなにやってないのかな、一番多いらしいんですよ。32回?32回やってるんです。来年で100周年で、100周年で32回やってるって結構多いんですよね。そういうのを考えると組み込まれているというか、野音の凄い沢山出ている・・・。
ピ 逆に他の歴史に入るんじゃなくて、自分たちが野音の歴史作ったんですよ。
宮 いやいやそこまでは(笑)。
ピ 若いバンドがエレカシに憧れて、野音を観に行った人がこれから「ああ、エレカシと同じステージに立った」って思うんですよ。
宮 いやでも私たちは・・・、私、馬鹿って言っちゃいけないんだけど、自分のことを。そこまで意識してないんですよ、武道館とかも、そこまでそんな、だから・・・、オヤジくさいですね俺も。
ピ 分かります。
宮 そういう意味では100周年の凄い野音の歴史の中に組み込まれるって部分では、言われてみると、ピストンさんに指摘されて見ると。
ピ 誰かに教えて貰わないとダメです、やってることを。そういうことを気にしないで無頓着にがむしゃらにやってるから、それは誰かに言って貰うと分かりますよ、エレファントカシマシがどれだけ凄くて、宮本浩次の歌がどんだけ力があって、他のひととどんだけ違うか。違うんですもん。違うことはサイコーですよ。他にいないって事はサイコーですよ。
宮 すみません、ありがとうございます!
ピ 本当ですよ。
宮 うーん、まあちょっと、本当言うとそう思って自分ではやってるんですけどね。なかなか、私は自分では勿論人前で歌うってのは相当自信をもって、俺の歌が、当たり前ですけど。でも自分で言うとね、死んだあと。
ピ じゃあ俺が言いますよ。
宮 100歳、100年くらいは生きるかもしれないですけど、それまでにはいつか死ぬでしょ。その後に「宮本浩次は凄かった」って言ってくれるともう。だから死んだ後のためにも色々、家にもこう、宮本の趣味はこれだったという、今から伝説作りでもしちゃおうと(笑)。
ピ 博物館ですよもう。松井秀喜博物館みたいなもんですよ。
宮 生きてるうちには銅像立ててもらうかなと、生前に銅像立てて貰う。
ピ 銅像ですよ!(大拍手)
宮 銅像立てて貰おうかな。
ピ サイコーです、生きてるうちから。
宮 生きてるうちから銅像お願いします。
ピ そういう宮本浩次とも最後なんですけども、ピストン西沢がDJ Mixで。
宮 あれサイコーですよ!
ピ 「男は行く」からかけてくれない?「男は行く」、これね「ギターの音、誰が弾いてるんですか」って宮本さん言ってたけれど、エレカシの音ですよ。エレカシのライブから引っ張ってきたやつをテクノにしました。
宮 凄い格好いいんですよこれ、忘れられません。
ピ これだから思ったんですよ、ローリング・ストーンズのダンスのやつあるけど、エレカシでも出来る。
宮 本当にそうなんですよね。ビックリしました私。これが俺の歌か、と思いました。
ピ こんなに力ある人いないですもん。こういう音に乗っかる人、日本人にいないんですけど、だからいつかエレカシ版のですね、ローリング・ストーンズアンダーカヴァー・オブ・ザ・ナイトみたいなやつ、僕にやらせてください。リミックス。
宮 いやー、やっていただきたいですね。
ピ 本当に、いつでも出来ます。宮本浩次だったら、すっごい格好いい。
宮 これもう最高なんですよ。
ピ はい、宮本さん、本当に長い間ありがとうございました。これで関係終わりじゃないんで。また是非絡ませて下さい。
宮 宜しくお願いします。
ピ では西沢から愛を込めて、「男は行く」とかリミックスさせて頂きました。お聞き下さい!宮本さんありがとうございます!

「男は行く」Remixed by Piston Nishizawa
(これを合法的にサブスクとかで聴ける手段があれば、後からでも追記します)。

ピストン西沢さんの「逆に野音の歴史を作っている説」に深く納得してしまいました。「エレカシと同じステージに立ちたい」と思う人は居て、いつかそれが現実に、けれどそのエレカシも現役で、というのは理想ですよね。あまり湿っぽいラストにしなかったのはピストン西沢さんの流儀なのかもしれません。
「生きてるうちから銅像」には俺も腹抱えて笑っていたのですが、「あれ、銅像の記事っていつか書かなかったけ」とも思っていた。そしたらTwitterで教えて頂いて。


また一つ愚かな過去を見つけてしまった。こんなに真剣にかつ延々と書いていたんだ。5年半前か、赤羽も色々盛り上がっていた時期ですね。でも今だったらクラファンとかで本当に出来てしまいますね(権利関係とか色々難しい大人の事情は除いてね)。勿論このインチキ記事にある強度云々というのは冗談ですので、あの細い足でも耐えうる銅像は造れます。
エレカシ宮本浩次に関係するエイプリルフールネタはあと2くらい下書きにはあるんですが、いかんせん最近は宮本浩次が「あり得ないことをどんどんやり過ぎる」ので書けなくなってしまって。記事書いたとしても本当に読まれるんじゃないかという懸念もあって書けないんです。

エイプリルフールの話はどうでもいいですが、年に1~2回の男臭さ全開、脱線しまくりの熱いトークの機会も一旦は終了です。ただピストン西沢さんもYouTubeSNSを積極的に使う宣言をしているので、いつの日かまた別の舞台で復活するやもしれません。



他に思っていること、スッキリやうたコンの記事も書きたいのですが、今回はボリュームが多くなりすぎたので一旦締めて、そのうち(それがいつかが分からない)。

ピストン西沢さん、熱い熱い話をありがとうございました。10年以上こんな会話を聞かせて貰って、色々な角度から宮本浩次の意外エピソード、そして何より熱さとそれがもたらす波動を知ることが出来ました。