昔は年に数回見て、4人の男達の生き様を見て自分を奮い立たせたりしていたけれど、昨年あたりからだろうか、見ることが出来なくなってしまった。
一番の原因は自分自身の年齢にあると思う。エレファントカシマシの4人、何より宮本浩次の撮影当時の年齢に達してしまった...。
画面の中の宮本浩次は激情的で、かつ繊細で、練習を好み、良い仲間を持ち、秘めた優しさを持つ男である。そして何より音楽、仕事への情熱があまりにも深い。それを自分と対比したときに恥ずかしささえ出てきてしまう。「こうも激烈に目の前のことにのめり込めるか?」「ここまで真剣勝負で仕事に向き合えるか?」、『扉の向こう』を見ると、そう問われているような気がして、心の中で避けているのかもしれない。
もう一つ理由を挙げるとするならば、作品の中でのエレファントカシマシの4人が極めて活動的であるからだと思う。宮本浩次のソロ活動が増している今、相対的にエレファントカシマシの活動量は外観上は低い。『扉の向こう』を見てしまうと、現状との違い、ギャップ、「15年前はこうだったのにな」という変な懐古が頭をよぎるということもある。
けれど、やはり理由の多くは「宮本浩次と同じ年齢になった」ということにあると思う。
この作品を劇場に見に行ってた頃は「十歳以上も年上の男達」をまるでヒーローを、それが大げさだとするならば良き兄貴達を見るような感覚で楽しめたのが、いつの間にかそんなことを言えなくなってしまった。
それならばまだ『エレファントカシマシ 25 years of the fighting men’s chronicle』の方が見ることが出来る、こう言っては言い訳になるけれど「まだ年上の男達」をそこに見ることが出来るからだ。
ただ、自分で言っておきながら、「見ることが出来ない」というのは悲観的すぎる。
そこには激烈に働いた結果、「上映後」さらなるキャリアハイを迎える男達がいる。ややもすれば「希望の轍」、それこそ「扉の向こう」が映っていて、『中年の良さを出してよ』と懸命に叱咤激励をした結果、その先には『町を見下ろす丘』そしてレコード会社を移籍してのヒット曲を生み出す男達がいる。努力の道筋、またはその結果が分かっている私たちにとっては決して厳しいフィルムでは無く、むしろ「希望に満ちた記録」のはずなのだ。
『エレファントカシマシ 25 years of the fighting men’s chronicle』を監督した山下敦弘さんのトークショーで、何度か「言葉にすると安っぽいけれど」と口にしていたことを思い出す。きっと動画の中の男達は、激情や繊細、仲間といった一般的な言語化では表現しきれない空間を共有している人間なのだ。それらを記録した映画のはずだ。
考えすぎずに、週末は久々にこのDVDを見るとしよう。新しい何かが見えてくるかもしれない。
(今、読んでいる本。名前は深く覚えていたけれど、実際はとんでもない男だった...。)