エレカシブログ 俺の道

ロックバンド・エレファントカシマシ、宮本浩次ファンブログ

東京からまっすぐ幕末へ

まずは連絡。エレカシライブブートレグCD「私だけのききどころ」は新しいページを作って、ある程度コメントを頂き次第手動で更新する予定です。
手動なので一個一個確認しながら転載するんですが、一応曲が間違ってないか(同じ曲がいくつかかあるため)チェックするたびに「なるほど、ここはツボだ」と
他人のききどころを読ませて貰いながら、更新してる自分自身が楽しんでます。


ライブブートレグCD「私だけのききどころ」
http://d.hatena.ne.jp/mpdstyle/20130401/p1




本題。数年に一度くらい幕末ブームがやってくるんですが、故郷福島を題材にした「八重の桜」を見てたらまた幕末ブームが再燃してきたようで
その「八重の桜」は勿論、大河ドラマ新選組!」のDVDや同じく大河ドラマ龍馬伝」のBlu-rayを出してきては一話ずつ見たり、関連の本を見てると
歴史は色々繋がってるなあ、とつくづく感じるんです。


例えば坂本龍馬暗殺の実行犯については諸説あるんですが、新撰組の犯行説もあり、局長の近藤勇が実行犯だったとする説もあることはあるんですが
龍馬が暗殺された夜には近藤勇にはアリバイがあり、そのアリバイというのが「近藤勇会津藩山本覚馬(新島八重の実兄)に刀作りを頼んだ。
覚馬は知り合いの会津藩士に『近藤先生の特別注文』ということで依頼し、二振が出来た。覚馬は既に殆ど目が見えなくなっていたので
その会津藩士に手を引かれる格好で近藤勇に刀を届けたところ、近藤勇は大いに喜び、酒宴となった」。その夜が坂本龍馬暗殺の夜。


前の幕末ブームの時に「龍馬暗殺の近藤勇のアリバイとして、会津藩の人と飲んでた」というのだけは覚えてたんですが、それが八重のお兄さんだったとは。
「八重の桜」「新選組!」「龍馬伝」と三つの大河ドラマが繋がった、と勝手に喜んでいたのですが、八重の桜ではこのエピソードは取り上げられなかった。
というより八重の桜では(恐らくキャラクターがぶつかり合うのを避けるため、またさすがに坂本龍馬と八重は関係ないためか)坂本龍馬はスルーされてました。


また福島がテーマなので、本編終了後の「八重の桜紀行」で割とご近所を取り上げてくれてね。これは「独眼竜政宗」以来。



たまらずGWには戊辰戦争の跡地を訪れてきました。

西軍(新政府軍)が会津へ向けて進軍を開始し、会津藩と戦闘が行われた母成峠古戦場碑。



敗者の歴史と言われればそれまでなんでしょうけど、昭和53年頃に会津藩を中心とした東軍の埋葬地が発見されたりしているんです。



今も山の中には当時の台場や土塁の跡などが生々しく残っている。



同時にここらへんはレジャー化も進み、スキー場も(ただ時期的に営業終了してました)。



猪苗代にある会津藩初代藩主保科正之公を奉る土津神社。上の母成峠の戦いの跡に西軍によって焼かれ消失。
けれど後に町の人たちによって再建され、野口英世は小学校時代から参拝していて、大正4年アメリカから帰国して、会津・猪苗代に帰郷した際にも
ここにカメラを持って参拝し、恩師の小林先生を撮影したり、鳥居を撮影していたりします(その写真が残っている)。歴史はどう繋がるか分からない。(この写真だけ昨夏撮影)。


新島八重は進歩的で、今、雑貨屋さんやホームセンターに置いてあってもおかしくない鉄製のワッフルプレートを当時使ってたりするんです。
明治維新後京都に移った後も、会津から京都に修学旅行でやってきた学生を案内して、籠城戦について話したり、会津復権に尽力したりと
進歩的かつパワフルで、「ハンサムウーマン」と旦那さんに言われたのもなるほど、と思わず頷いてしまいます。


エレカシとは全然関係ありませんが、分からないところで色々と歴史は繋がっていて、今に至り面白いというお話しでした。