エレカシブログ 俺の道

ロックバンド・エレファントカシマシのファンブログ

赤羽台団地×オレの中の宇宙

数日前に寝ようとベッドで横になっていたら、急に「オレの中の宇宙」が聞きたくなってしまい(そんな夜もありませんか?)、慌ててスピーカーで流してみると、当たり前だけれど相変わらず流れてくる音、そして言葉(叫び)が受け手の心にストレートに響き渡ってくる。

でかいかたまりココロを乱し 部屋に襲い来る毎日 オレ夢中で立ち向かっていた

寝ころびながら または目を閉じて 隔絶されてしまった部屋に ココロに力の小宇宙

辺り見まわしゃ団地中夕食のしたく オレは自分の机に頬ずえをついていた

 

 好きも嫌いもない 良くも悪くもない オレは対等に勝負した でもこれがオレの宇宙だ

おふくろが用意してくれた晩ゴハンをテレビを見ながらオレ ツナワタリで食べていた

 

未来が見えない(あるいは見えすぎている)、爆発寸前の火山のようにあらゆるものが鬱屈して抑えきれずにグルグルと回っている「宮本浩次の中の小宇宙」が、あの赤羽台団地の一角には確かに存在した。

 

そんな「抱えきれないほどの宇宙」を背負った男が、数十年後に同じ団地の片隅で「桜の花びらを舞い散らせながら、桜の花の歌のPVを撮影する日」が来るとは誰が想像しただろうか?

 

或いはそんな「どでかい宇宙を持った」時期に出会った仲間とバンドを結成し、プロデビューして四半世紀が過ぎ、そのデビュー25年スペシャルライブで14000人を集めて、華やかな四時間を会場はおろか、日本中に届ける日が来ると誰が想像しただろうか?

 

そしてその団地も建て替えの時期を迎え、変わりつつ街をメンバー四人で歩きながらNHKの番組(SONGS)で振り返る日が来るとは誰が想像しただろうか?

 

宇宙やそこに広がる星、彗星はいつどんな経緯を辿って姿を現すか、誰にも分からない。

 

ただ、中年期を迎え一見穏やかになりつつあるように見える宮本浩次も、今だって間違いなく「オレの中の宇宙」を心の中には持っていて、日々「自分自身の宇宙」と戦っているはずだ(自分自身の戦いは誰にだってあるのだけれど)。復帰後も「あなたへ」のような情緒溢れる歌を歌ったかと思えば、「めんどくせえ(仮)」「なからん」と、一見よく分からないけれど、聞けば聞くほど宮本浩次の「心の中の宇宙」を垣間見える曲を作り出している。

 

宮本浩次の大きな魅力として、この穏やかさと激烈さが同居している点にあると思う。ライブ直前まで古本屋やら博物館や喫茶店をブラブラぶらついている男が、いざライブやレコーディングが始まれば瞬間にしてどこかの大きなスイッチが入り「化ケモノ中年」のごとくオーディエンスを煮えたぎらせてやまないアジテーションやらバラード、怒りの歌から自省の歌、恋愛の歌までをそれこそ白目を剥きだしにて、きっと明日のことも考えずに、俺はその瞬間がために生きているんだ、とがなり立てる男だ。

そう見ればエレカシのライブ中というのは「宮本浩次の中の宇宙」を垣間見ることが出来る絶好のチャンスなんだと思います。どんな宇宙なのかは恐らく誰にも分からず、宮本自身にだって分からない、また分かりきれないほどの広い「宇宙」が存在していると思うんですけど。

 

ヴェルレーヌの詩の一節である「撰ばれてあることの恍惚と不安 二つ我にあり」を見る度に「ロック歌手としての激烈と穏健さ 二つ宮本浩次にあり」などと意味不明なフレーズが浮かぶんです。

恐らくその二つはバランスは取れておらず、バイオリズムまたはシーソーのように激烈さに傾いたかと思えば穏健さに傾いたり、かと思えば瞬間で激烈に戻ったり、宮本浩次の中の宇宙に戻ったり、決して安定してないんだけれど、それが音楽として噛み合って前に進み出した瞬間の爆発力たるや他の追随を許さない。

 

エレファントカシマシ@TOKYO DOME CITY HALL  2011.6.19

 

今年はエレファントカシマシはどんな「宮本浩次の中の宇宙」を見せてくれるだろうか?それはいつどんな形で現れるかはきっと宮本浩次自身も分からずに、ライブ中やレコーディング中に瞬間的に姿を現すのではないだろうか。

そしてもしかすると、ファンは「いつ出るか分からないその瞬間」が出るのを、そしてその光景に触れてることを楽しみに、エレファントカシマシのライブに足を運ぶのではないだろうか、そんな気がしてならない。

 

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