エレカシブログ 俺の道

ロックバンド・エレファントカシマシ、宮本浩次ファンブログ

エレカシは「枯れてゆく俺」を歌っているのか?

ずっと前からメールのやり取りをしているエレ友さんからのメールで
今現在発売されている「AERA」にMr.Childrenとの対比のくだりで
エレカシが出ているのでよかったら見てみて下さい、とありました。
それで今日、コンビニでAERAを見つけたので、おーこれだ、と読んでみたら
その記事がありました。Mr.Childrenの映画についての記事についてで
ライターの岡本俊浩さんはこう書いている。

(注、Mr.Childrenについて書いた後で)
20年あまり突っ走ってきた彼らだが、20代、30代の頃と同じようにはいかない。
エレファントカシマシのように「枯れていく俺」を歌う選択もあるだろう。
しかし、ミスチルはそれをやらない。
思春期を感じさせる青々とした歌はそのままに、今回の映画のように
深く考えないで楽しもうよという「緩い」落としどころも、リスナーに提示する。
(以下略)。

読みながら「うーん」と考えてしまった。
「最近の歌に『枯れていく俺』を歌った曲ってあったけ?」。
そこからの帰り道、電車でずっと考えた。
家に帰って、最近の曲の歌詞を聴いてみた。インタビューを漁ってみた。
・・・歌ってないと思うなあ、というのが一旦の結論です。


確かにインタビューやMCでは何度も言っていて、「最近体力が落ちている」
「ライブ後は疲れちゃって、年齢を自覚している」というのは皆様見聞の通り。
でもそれが「枯れている俺」という曲になってるとは思えないんですよね。
むしろ、近年(例えばDEAD OR ALIVEから明日への記憶まで)の曲を見ると
「衰えていく、堕ちていく、けれど立ち上がって越えて明日へ行こう」
「今起きている現実を見据えて、自分を信じて、今日も未来へ進んでいこう」
というテーマが芯としてビシッと通っていて、それらが波状的に聞き手に
伝わっている気がしている。


要するに「インプット・アウトプット二分論」みたいなものじゃないだろうか。
インプット、実感としては衰えていく、残りの人生の時間も少なくなっていく。
でもアウトプット、音楽の表現としては、それらを現実のものと見据えて
じゃあこれからどう生きて行くか、どう明日へ進んでいくか、というのを分けている。
最近の宮本というのは徐々にそういうスタイルになりつつあるんじゃないだろうか。
(いつから変わったのか、またどうしてそう変わったかは分からないけれど)。


だから「枯れていく俺」(宮本)というのはファンとしては随分見ている。
宮本だって十分自覚している。態度や言葉の端々にも出てくる。
でも「枯れていく俺を歌うエレファントカシマシ」というのは果たして存在するのか。
そう突き詰めて考えて行くと、いや、そうは思えないなあ、というのが結論です。


読めば(若しくはタイトルだけでも)分かりますが、この記事はMr.Childrenについて
書いていて、それと対比する形でエレファントカシマシの名前が取り上げられていますが
この記事の書き手の方は、「緩い」Mr.Childrenと対比しやすくする形で表層的な
最近のエレカシ、中年にさしかかった宮本浩次を取り上げて「枯れていく俺」を
歌うというエレファントカシマシを書いちゃったのではないだろうか。
とりあえずMr.Children(と今度発表する映画)を賞賛しないと、という記事なので。


でもその実、「枯れていく俺」というエレファントカシマシの歌は存在しなくて
「枯れていくかもしれないけれど今日も、明日も明後日も未来へ輝いていこう」というのが
近年のエレカシの命題というか、コアな部分なんじゃないかと思います。


あとは「枯れてゆく」という言葉や表現がどうなんだろうか、とも思います。
これが「老いてゆく」とかならまだ全然分かるんですが、「枯れてゆく」というと
心身共に枯渇していくような、あまりにネガティブなフレーズだと思います。
少なくとも現在のエレカシ、宮本というのは「湧き出ていく」という言葉が
一番当てはまるんじゃないかと思えるくらいどんどん新しい作品が出ているので
前後の説明なくいきなりエレカシの名前とこのフレーズを出してしまうのは
正直違和感を覚えてしまいました。



個人的には近年のエレカシには凄い勇気を貰っていて、44歳になって中年になって
「年は取っていく」という現実はちゃんと見据えてるんだけど、それでも自分を信じて
明日を信じて未来へ行こう、というのは、若くてはなかなか出来ない歌詞で
宮本が年を取ったからこそ出来る歌詞なんじゃないかなと思うのです。
年齢を重ねていくことへの恐怖みたいなのはあるけれど、それさえも越えて
メンバーと共に未来を見据える姿勢というのは、年齢を重ねてきたからこそ
作れる歌詞なり曲で、そういうのを見ていると、年を取るというのも案外と
悪くはないんだな、むしろこういう大人になりたい、と思えてくるのが
こんなにもエレカシファンをやっている原動力の一つなんだろうなあ、と
思ったりします。
これが単に「枯れるだけの俺」を歌ってるんだったらそこまでいってない。
「その先」をどんどん歌ってくれるからファンをやってるんだ、みたいな想いはあります。



今回も熱く長くなっちゃいましたが(笑)、やっぱりこの筆者の考え方には
あんまり納得出来ないなあ、というのが結論です。
別に「枯れていく俺」を歌ってるなら歌っているでいいんですよね。
それも聞いてみたい。けれど実は歌ってないじゃん、と思ってしまいました。
逆にエピック時代のほうが枯れていくというか厭世的な歌詞は多いですけど。
若い時の方が枯れていく俺を歌ってるっていうのはどういうことだ(笑)。
恐るべきは「化ケモノ中年」ですね、年齢を重ねる事に生命力が溢れている。



皆さんはどう思いますか?何でもいいので聞かせて下さい。