エレカシブログ 俺の道

ロックバンド・エレファントカシマシのファンブログ

「老害」について考えてみた

エレカシとは全く関係ない話です。


最近、友達だったり先輩だったり、まあ仲の良い人と話すと結構この話題になる。
老害はなんとかならんもんだろうか?」
もう社会の色んな所に老害な人(考え方が古くて堅くて、でも権力だけは持ってる人)が
巣食っちゃってしょうがない、なんとかしなくては、みたいな話にある。
明らかに老害、間違った意見と間違った権力を使ってると感じる時には理論武装をしつつ言う時には言って
時には団結して戦うなり権力闘争でもして何とかしなければならない、将来真っ暗だぞ、という結論には
なるんですが、もう一歩話が進むと・・・。


「うちらが老害になったらどうしよう?」という話にもなるんです。


今はまだ大丈夫だと思っている。
そりゃAKB48の話題にはついていけないけれど(笑)、まだ柔軟な思考が出来て
何かを変える勇気や力も、自分たちより若い人たちの力を認める考え方もある。


でもいつかそんな考えや体力がなくなって、老害になったらどうする?とも考える。


第一段階として
(1)自分を老害だと認めることが出来るかどうか。
年老いていって、自分のことを老害と自覚出来るか、もし自覚してもそれを認められるか?
これは結構な勇気が必要だと思うんです。若い頃は色々やれたのに、今は年老いて・・・
ということを自分で結論するのは、年老いていくごとに勇気が必要となってきそうだ。


そしてもし上の(1)を乗り越えることが出来たとしても、また次の難関が待っている。


(2)老害を自覚して潔く身を引けるか。
今は「老害になったら引退して欲しい」と考えているけれど、いざ自分がそういう立場に
なったら、潔く身を引くことが出来るだろうか?とも考える。
まして老害になったとしても、その時に家庭だったり生活があったりしたら、そう簡単に
引退だったりリタイアだったりは出来るもんじゃない。
さらにタチの悪い老害ほど「自分の地位役職」に連綿としたりするので、そういう人たちが
例えばリタイアして肩書きが無職です、となるには相当にプライドが傷つくと思う。
今現在の僕はそういうのには全く興味がないけれど、自分が「タチの悪い老害」にならない
保証なんてどこにもない。
「あの人は晩節汚さないだろう」と思っているような人でも地位に連綿として、社会を停滞
させている例なんて今いくらでもありますしね。
そういう例を見ていると「あの立派な人でも老害になるのに、俺は大丈夫か?」と考える。


僕も周りもまだ20代なのに、結構こういうことを真剣に考えてます。
ってか真剣に考えなくてはならないほど日本の社会における老害の深刻度は大きいと思います。


「ニッポン国 tired 我等の時代を そう そう」
「あとは10年たったら good-bye リーダーで あなたの時代を懐かしんで
 我等の時代を生きて行くでしょう」 by I am happy
「オレはいたって冷静さ オレは掘り下げて行く 身を守る防衛さ
 オレはオレを知っていく いわゆる未来の生命体」 by 未来の生命体


結局エレカシの歌詞出しちゃいましたが(笑)、特に「I am happy」なんかは歌詞をよく読むと
「宮本的老害論」「宮本的我等が時代論」が出てて、上のように老害について考えていると
このメロディが頭の中に流れ出します。
(勿論、宮本浩次老害がどうこうと言ってるわけではございません)。



「あいつらの化けの皮剥がしに行こうぜ」。



ちょっと野音話。

こないだ近くに寄ったついでに日比谷野音見学(?)してきました。



会場に備え付けの座席表を見て改めて思います。「Aブロックってすげえな」。

簡単にCだBだと言うけれど、面積からしてAブロックのレアさが分かります。
もう数年前から「Cでもラッキー、Bなんて奇跡、Aなんて震えるレベル」ですね。


「リッスントゥーザミュージック 野音は晴れかい?」
毎年このフレーズ使いますね(笑)、なんとなく語呂が好きなんです。