エレカシブログ 俺の道

ロックバンド・エレファントカシマシのファンブログ

「カノカイ」にエレカシの未来の姿の一つを見たんだ

タイトルは「消えゆくこの世に光を見たんだ」by DEAD OR ALIVEより。


昨日、パソコンで書き物の作業をしながらエレカシをランダムで流してたら
「彼女は買い物の帰り道」のInst Verが流れて、今更ながらに「いいなあ」と思っちゃったんですよ(笑)。
ユニバーサルミュージックに移籍してからInstもつくようになったんですが、何回か聞く程度であんまり聞かない。
でも昨日はあまりに綺麗なメロディラインなのでつい聞き入ってしまった。


一体宮本はどんな心境で作ったんだろう、ということを今更ながら考えて、昔のインタビューを読む。
JAPAN Vol.377 メンバー四人インタビューより、少し長いですがそのまま引用。

宮本「あと、みんなをびっくりさせるって意味では、女性の視点の曲は絶対一曲入れたいって
実は最初っから思ってたの。今までは男の人の歌が多かったと思うんだよね。
実際、女の人のレコードなんてある種アイドル的な意味合いでしか、俺は基本的には聞かなかったし。
どうしても『フン(笑)』みたいなさあ。どんなに優れてても、そういう考えなんですよ。
俺、男の人が歌ってないと全然リアルじゃないからって思ってたの。
そりゃ孔子を尊敬するのと同じなのよ、根幹は。男だから男の若い人に憧れてたし。
でも女の人の歌作るっていうのが、わりとその、親しみが湧く、超人で、世界を羽ばたいて
飛ぶ人でもなければ、俺たちのように喜怒哀楽で、苦しんだり、恋に破れたり、落ち込んだりしてるっていう
そういう感覚なんですよ。アルバムができた時に、何も偉ぶってもなければ卑下してもなければ
すごく孤独な感じとかをすごく親しみのあるテイストで"彼女は買い物の帰り道"のものっすごい青空だったり
すごい光がある毎日っていうのが、普通の感覚で歌えたっていうのが凄く嬉しかった。
そういう意味合いで女の人の目線の歌が歌えるようになった」

なるほど。この発言の前半部分を読んで、また宮本の「語録」を思い出す。
「宮本赤本」こと「明日に向かって歩け!」229頁より。2001年5月の出来事。

「同日に発売された宇多田ヒカルさんと浜崎あゆみさんのアルバム、どちらが売れるのか?といった
ことがちょっと前に話題になっていた。この事に象徴されるように、世の中は女性ヴォーカリスト
全盛といった感がある。やはり多くは女性が買うのだろう。
俺は男なので音楽にしろ音楽にしろ小説にしろ絵画にしろ、やはり男の表現したものを好む傾向が強い。
同性の部分で共感出来るところが多いからである。女性の表現したものは、前に挙げた二者も含めて
どんなに優れているものであっても、心から共感出来る事は少ない。
音楽でいえば、初期の荒井由実のものなどは非常に好きだが、本当に珍しい例なのである」。

根本的に宮本の歌は男の歌であり、もっというと「俺の歌」「自分の歌」であると思う。
宮本に影響を与えた憧れの文豪や芸術家の多くが男であったことが大きいのは上を見れば明らか。
文豪や芸術家のような職業は自然と、それこそ水が溢れる井戸のように自我が溢れ出す。
それが端的に表されているガストロンジャー的に言うと「俺はこう思う、君はどうだ?」的世界。
他の追随を全く許さないほどの自己顕示欲の発露。これは明らかにエレカシの初期衝動であり
多くの人を惹きつけてきた(まあエピック時代はどうか?ですが)魅力でもある。
「愛と夢」や「ライフ」では他者目線、相手を思いやるような仕草も一旦は出てきた。


しかし、ご存じ「DEAD OR ALIVE」「俺の道」では初期衝動である自己顕示欲の発露が戻ってきた。
(ただ自分で書いておいてこの「自己顕示欲」という言葉が適切かどうかは分からない。
 『自分の想いをロックに乗せる衝動、パワー』こういうフレーズの方がしっくり来るかもしれません)。
「町を見下ろす丘」は退屈だった小学生時代の夏休み、歩きながら町を見下ろす公園、曲が出来て祷っている宮本。
40歳になった宮本の「それまでの人生の一つの総決算」的な要素が多分に含まれていると思う。


そしてまた移籍という転機が訪れ、時代は流れ、協調路線に戻ってきた気がする。
「リッスントゥザミュージック」ではあくまで自分を中心としながらも、井の頭公園を舞台にして
「別れゆく彼女」との想いをまるでキャッチボールのようにして歌っている。
「笑顔の未来へ」では「一緒に笑顔の未来へ行こう」とも歌っている。
ユーミンの「翳りゆく部屋」もカバーした。この曲は「カノカイ」にかなり影響を与えていると思います。
何度も自分で歌っているうちに、視線の転換という作業が無意識に宮本の中で行われたのかもしれない。
そして次作である「ネヴァーエンディングストーリー」。

「ネヴァーエンディングストーリー 君が笑った 今日はきっと昨日よりも素敵になりそうさ」。
「もう二度と戻らない今日一日を 俺の全部精一杯でふたりいろに染める旅へ」。

優しくも強い、情熱的であり、そして可憐な歌詞が出てきた。


極めつけの珠玉は「彼女は買い物の帰り道」。
これまで「俺」路線、「協調」路線だった宮本浩次が、ついに「女性目線」に立った。
書き始めると歌詞全部を引用することになっちゃうので書きませんが、これには俺も僕も自分も出てこない。
あくまで「彼女」の想い。(勿論「彼女」を通して自分の心境を歌っているんだと思うけれど)。
それを普遍的に、力まずに楽しく歌えたと言うのは一番上のインタビューからも分かると思います。


宮本がいくばかりの成功や挫折、恋愛の失敗や成就を繰り返してきたかは分からない。
でも44歳にして完全に視点を変えて、それも変に力まずに己の心を女性の目線で歌うことに成功した。
しかしこれはおそらく単純な終着点とは言えないと思う。
これだけ素敵な歌詞で女性目線を作れたと言うことは、これからの歌詞はあらゆる柔軟性を持って
色んな視点からこの世の中、人生、男、女、勝利、敗北について歌うことが出来るんじゃないか。
勿論今までの持ち味である「自己顕示欲の発露」と上手いバランスを取りながら。


この「彼女は買い物の帰り道」は「あの我の強い宮本浩次が『視点を変えることが出来る』という
一つの終着点」でもあり、また「新たな視点から曲を作ることが出来る一つのスタート地点」の
二つの意味を持った、かなりエポックメイキングな曲なんじゃないかと改めて思いました。
これから未来へと続くエレカシへの分岐点となり得る曲、そしてエレカシの新基軸となる曲、そう思います。


ただ人生面白いと思うのは、あんだけ粋がっててとんがってた宮本浩次が、こんな優しくてメロディアスな
女性目線の歌を歌うように、歌えるようになったということ。
18歳当時の宮本に「あなたは26年後、『彼女は買い物の帰り道』という女性目線の歌を歌うんですよ」と
教えてあげたい。「ふざけんじゃねえこの野郎!」って散々怒られるでしょうけど(笑)。
「俺は今、男四人でスタジオでのリハーサルを終えた帰り道なんだよ、バカ!」とも言われそうだ。


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こないだエレ友さんと話していたら、「震災以降、今までのようにエレカシを聞けなくなった」のような話になったんです。
でもそれはある種しょうがないんじゃないかなあ、と思ったりします。僕もそういう部分が多分にありますし。
あの震災以降、世の中の秩序、価値観、信じるモノ、信じられないモノ、将来の希望、不安等々色んなモノが変わってしまった。
その中で勿論テンションが落ちちゃってるという人も物凄く沢山いると思います。
そういう時は(例えが悪くて怒られるかもしれないけれど)妊婦さんのつわりのように、今まで好きだったものに
拒否反応みたいなのが出るのかもしれません。


僕だってこんだけエレカシについて書き殴っていますが、バイオリズムのようにエレカシのテンションは上がったり下がったり。
下がってるときは無理せずエレカシを聞かずにせっちゃんだったりMr.Childrenだったりを聞いたりします。
そしてまたテンションが上がってきて、エレカシ熱が上がってくると「やっぱりエレカシいいな!」と思ったり(笑)。その繰り返し。
皆さんが皆さん、同じかどうかは分かりませんが、案外そんなものなんじゃないかと思ったりします。
大丈夫です、エレカシは(少なくとも楽曲は)逃げたりしないですから。
疲れた時には孤独になればいいし(DEAD OR ALIVE)、熱狂したくなったらライブに行ったりDVD見たり、雑誌読んだり。


長年連れ添っているような恋人のように、無理せず、時には頼って、時には少し距離を置いて、楽しむときは時には一緒に楽しむ
悲しむときはエレカシを聞いて悲しみを分かち合うような、そんな関係になればいいんじゃないか。
最近はそんな風に思ったりしています。エレカシはそれだけの価値はありますよ、絶対に。それだけは言えます。