寒暖の差が大きくなっていた頃が懐かしいぐらいの勢いで寒さが増しています。先週末なぞはガクガクブルブルと震えていました。冬の季節を感じると同時に「DEAD OR ALIVEの季節がやってきた!」とも思う。それぐらい冬のイメージが強いアルバム。
エレカシファンになって初めてのアルバムということもあるかもしれませんが、この心意気、「一人でも四人でもやったるぜ!」たる野武士的な心意気が感じられて嬉しい。
って毎年冬になるとこのようなことを書いていて(笑)、発売10周年、つまり4年前にも同じようなことを書いていた。
そういえばこの頃から宮本浩次もいわゆる「バラエティ番組」には殆ど出なくなってしまった。当時は寂しかったけれども、今思うと凄く正しい選択で、バラエティばかり出ていると、逆に「デビュー30周年」の重みもなくなっていたのかもしれない。すなわち「ほぼエレファントカシマシのみで30年」。まあドラマ出たりCM出た時期もありますが、大体ロックのみで30年生活してきた重み。また考えれば、その30年のうちの半分近くが「DEAD OR ALIVE」以降になってしまった(そりゃ俺も年を取りますよ)。
デビュー30周年記念サイトの様々に変わるジャケットを見ながら、改めてDEAD OR ALIVEの重みと、30年の道のりを感じたりしています。
- いつかどでかい どでかい虹をかけようよ。
先日いい虹撮れたんです。端から端までくっきりと見えました。
一眼レフ片手に持ちながら、上記のように「俺たちの明日」の一部分が浮かんでいた。これが「RAINBOW」でも「七色の虹の橋」でもなく、「俺たちの明日」だったのが、まあ力強い虹(笑)だったんでしょう。「RAINBOW」の歌詞自体には『虹』も出てきませんし、「七色の虹の橋」は穏やかな虹のイメージ。それに対するとこれは「力強い虹」(なんだそりゃ)なので、同じく力強い「俺たちの明日」が浮かんだんだと思います。
- 若い世代にもっともっと希望を
こんなこと書く時点で「オッサン」になってるのですが・・・。
若者たちが、自分たちの暮らす社会の(ある程度の)公正さを信じていないような国が、まともな経済成長を持続できるはずはないし、そういう国で育った子供たちが、まともな大人に成長するはずもないからだ。
うちの国は、どうやらそういう国になりつつある。
というのも、子供たちに「社会のあり方」を教える最も身近な教材は芸能界であり、若い人たちが、自分たちのロールモデルとして最初に思い浮かべる人間は、スターやアイドルだからだ。思うに、所属事務所からの独立を「恩知らず」「裏切り者」の所業と見なされて、業界から干され、自分の本名さえ名乗れない中での不自由な芸能活動を続けている「のん」こと能年玲奈ちゃんの苦境や、25年間にわたってトップスターの地位を守り続け、事務所に多大な利益をもたらしたにもかかわらず、事務所内の派閥争いのとばっちりを受けて、テレビカメラを前にしての理不尽かつ屈辱的な謝罪を強要されたあげくに、将来を閉ざされているように見えるSMAPの面々の無表情を眺めながら、この国の若い人たちは、組織に個人が対抗しても決して勝てないことを学び、上の者の命令に従わなかった部下がいかにひどい目に遭うのかを思い知り、どんなに理不尽な要求であっても、組織の指揮系統から下される命令には生命をかけても従わないと未来が閉ざされるという教訓をその身に刻みつけているはずだ。というのも、芸能界は、学校以外の世界を知らない十代の少年少女にとって、「社会」の実像をイメージするためのほとんど唯一の手がかりだからだ。
思わず深く頷いてしまった。戦後最大のアイドルも、沈痛すぎる表情で地上波の生放送で所属事務所にわびを入れ、レコード大賞の一億円云々の記事もテレビでは報道されず、活躍した女優さんも本名すらクレジット出来ず「大人の事情」で訳の分からない芸名を名乗らされる。
またネットの時代でこういう裏事情を若年世代が知ってしまったことも大きいと思います。ジャニーズやバーニング関連のタブーがテレビで報じられないことも常識となっているし(それも凄い話ですが・・・)、ドラマやバラエティも「○○のバーターで出演」という記事が飛び交う(またそれが当たってしまっている)。そんな裏事情を知ったら白けてしまってテレビなんか見なくなってますますスマホやネットに移行してしまう(そういう意味ではテレビ離れは業界の自業自得と言えるかもしれません)。
ただ、ここでため息ついても何も始まらないと思うので、「ちゃんと良いモノにはお金を払う運動」(なんだそれは)はやって行きたいと思います。つまらないコンテンツにはサヨナラして、いいモノにはちゃんとお金を払って熱烈応援すれば、多少は正常化されるんじゃないかと思います。
「ただなあ 破壊されんだよ 駄目なものは全部」。結局これに行き着いてしまった。