2016年6月12日は、宮本浩次、御年50歳の誕生日!まことにおめでたいと同時に、「宮本浩次」と「50歳」という不釣り合いさ、アンバランスさに今更ながらに驚きを禁じ得ません。
宮本浩次自身も自分が50歳になるとは思ってもみなかったんじゃないかと思います。精神荒くれの10代にまさか20歳を超え、30代・40代を飛び越して「オッサン・50歳」になるとは。そしてあらゆるバンドが解散したり、音楽辞めちゃったりしている中、メンバー不動のまま、「職業・ロック歌手 所属・エレファントカシマシ」のまま、50歳。これは本人達が一番吃驚してるでしょうし、でもまだまだやれる、けれどやっぱり身体は年老いていく、しかし「RAINBOW」やその次も出せる、あらゆる思いが交錯しているんじゃないかと勝手に推測しています。
・・・「見た目で50歳に見えない男」ランキングでも世界で相当上位に行けると思います(笑)。身体動かして、心意気も「まだまだ売るぜ」という心身充実状態だとしても、こんなに細くて若い50歳を見たことがありますか?(あるならば是非教えて下さい)。決してこんな50歳にはなれないだろうけれども、理想のフォルムというか、「宮本浩次という50歳の見本」が先にあると思うと、「男はかくあらねばならぬ」的な目標にさせてもらっています。
そして50歳になったということは、宮本浩次の40代も無事(?)終わったことになります。これは何度か書いていますが、『俺たちの明日』で10代、20代、30代を総括した。そして時期的には40代も総括できる。果たして宮本浩次にとっては40代はどんな10年だったのだろうか?
『10代 憎しみと愛入り混じった目で世間を罵り
20代 悲しみを知って 目を背けたくって 町を彷徨い歩き
30代 愛する人のためのこの命だってことに あぁ 気付いたな』
エレファントカシマシ 『俺たちの明日』
一ファンから見ると、宮本浩次の40代の一大出来事と言ったら病気となるのですが、今の宮本浩次はたまにインタビューで「昔、耳の病気にかかっちゃって」等と過去形になっていることも多々あり、もしかすると「そんなこともあったけれど、今は次の目標を見つけているんだよ」となるかもしれませんが、やはりロック歌手にとっては一大インシデントであり、復帰後の声や曲調も明らかに変わった。人の人生を数値化することなんて不可能でしょうが、宮本浩次の40代にとって、耳の病気から回復、その後の道のりというのはどのぐらいのウェイトを占めているのだろうか?たまにそんなことを思います。
そしてそれらのことを踏まえた、「40代を総括した歌」というのを待ち望んでいます。
次は目指すは60歳(!)ですよ。また10年後に「こんなにカッコいい還暦ロックスターがいるだろうか」とか書いているかもしれませんが、本当にそんなことを書いてしまいそうな熱量と若さを持ったまま50歳になりました。50歳で飛び跳ねながら白目剥き出しにして、本気で怒りながら『ガストロンジャー』を歌い放つので、60歳でのガストロンジャーという絵をいささか容易に想像してしまいました。
なんだか勝手に10年後の宮本浩次まで想像していましましたが、何はともあれ健康に、無事に宮本浩次という希有なロックスターが50歳を迎えたことを喜び、そして心からお祝いしたい。
「宮本浩次、50歳おめでとうございます!これからもあなたの歌が必要です。オレを、世界中を、勇気づけてくれよ!」。