エレカシブログ 俺の道

ロックバンド・エレファントカシマシ、宮本浩次ファンブログ

二月の雨

この時期の雨というのは嬉しくて、というのも空気がカッサカサ、乾燥し尽くしているので、世の中全体に潤いを与えてくれるようだ。

フォローできないんです。非常にドキドキしてしまうというか、宮本浩次が投稿すれば、今現在の宮本の様子や直前の様子、写真、文章を見ることが出来る。見ていいのか見たいのか見たくないのか。この不思議な感情はどこからくるんだろうとしばらく考えてみたんですが、「初恋相手の感情」に似ていることに気がついた。思えばそう、精神荒くれの10代、初恋の相手の様子が気になって、知りたいけれど知ったらドキドキして、どう行動を起こして良いかわからないことってありませんでしたか。それで妙に相手を避けちゃったり。知りたいけれど知りたくない。いや知りたくないわけではないから知りたい。でもどうしよう、見ようか見まいか。この感情に似ている。
・・・30歳を超えたオッサンが50歳を超えたオッサン相手に何をのたまっているのかと思うでしょう、上の段落だけ見たら『宮本浩次、初恋の相手説』になってしまう(ならないか)。ただこのブログを読んでくださるうちの数パーセントならこの気持ちを分かってくれるのではないかと思う。

要は宮本浩次が近すぎる。今まで遠い遠い存在だったのが、いざインスタを見れば「自分で撮った」「自分で書いた」写真や文章や映像が出てくる。この距離感に慣れていないのだ。挙げ句長年勝手に持っている宮本浩次への尊敬やら好意やらがゴチャゴチャになって対応出来ないでいる。冷静に理論立てで考えると、そんな結論が出ました。

これはどうなるんでしょう。初恋なんて訳分からなくて大抵結局うまくいきませんもんね(だから例えがおかしいって)。

噂の眞相」は一時期どっぷりと嵌っていた。「全方向忖度なし」の姿勢で、今読み返してもここまでの検察批判は並大抵の気持ちでは出来ないと思う。
(調べればすぐわかるのですが)ある著名な作家を実名批判したら、その作家が雑誌を刑事告訴して、それに応えて東京地検特捜部が捜査し出したら、休刊まで徹底的に毎月のように検察批判(笑)。その後も在宅起訴された時には「記念増刊号」を出して、起訴状を載せるわ、「名誉毀損」とされたところを塗りつぶして当該記事を再掲するわ、ハチャメチャだった。さらに結果的に幹部の一人をスキャンダルで辞任に追い込んだエネルギィたるや、「権力に対する意地の張り方」なら日本一だったと思います。
一方で事実誤認も多かった。エレカシのことも(知る限りで)一度書かれたことがあって、事実誤認に悪意が混ざって訳の分からない記事になっていたことがあった。こういう「身近な記事」で「ああ、この雑誌はこうして間違えて、こういう結果が報道被害になるんだな」とメディアリテラシーを鍛えるきっかけにもなった。
地方出身の人間にとっては「ザ・東京」「ザ・新宿」な雑誌で、噂も真実も嘘も悪意も嫉妬もごちゃ混ぜになったパワフルな雑誌でもあった。思ったよりも編集部は開放的だったよなので、一度訪ねてみたかった(用件がないけれど)。

晩年はあろうことかウワシン自体に「権威」的なモノも出てきて、でも記事がそれに応えられていなくて痛々しかった。岡留編集長もそれを自覚して「引きの美学」を実践しての休刊。今は良くも悪くもここまで気概ある雑誌は全く見当たらない。

とにかく世の中における様々なことを勉強させてもらいました。ただただ合掌。

www.youtube.com

雨が降ろうが、宮本がインスタ始めようが、時は淡々と進んで行く。

宮本浩次、Instagramを始める。

いや、エイプリルフールでも何でも無くて。本当に。

www.instagram.com

どんな有名人が、どんな芸能人がInstagramするよりもドキドキしてしまうというか、なんでしょうか。いよいよパンドラの箱を開いてしまったというか、思わず「鶴の恩返し」の話を思い出してしまいました。大げさでは無く「開けてはいけないところを見てしまった気がする」。しかも自画撮りですか先生。
勿論本人の意思、スタッフの意思、意向も踏まえての「SNSもやっていこう」という結論なんでしょうが、これまで都度書いている通りエレファントカシマシの魅力の一つとして(良い意味での)「神秘性」「閉鎖性」「愚直」「実直」だと思うんです。生活なり作品への課程を晒さないというか、宮本浩次の脳内からレコーディングにレコーディングを重ねて、一気に「作品」として出したり「ライブ」で発揮したり。溜まりに溜まった想いを瞬間的に爆発させる。その暴発っぷりがエレファントカシマシ宮本浩次の大きな魅力の一つだと思うんです。これが(頻度は分かりませんが)定期的に「想い」を吐き出されると、瞬間的な暴発っぷりが薄まってしまうのではないだろうか。

また以前、「週刊プレイボーイ」や「bridge」で連載していた頃に自身が述べていたように「表現することのエネルギィ」が慢性的に消費されてしまうことへの心配もある。作家や文学表現を心から愛するが故に、人一倍以上に「表現行為」「連載」に神経と情熱を遣っていた宮本浩次がこの先「インスタ更新しないと」という謎のエネルギィ消耗をしてしまわないだろうか。


「ロック歌手」宮本浩次、「ロックバンド」エレファントカシマシが好きなだけに、ここのところの動きには正直困惑というか、「そこまでしますか先生!」と思ってしまう。本当に今まで何十年とやっていなかったことを猛スピードでやっていて、勿論それだけソロ活動、「宮本浩次」としての活動に真剣な証でもありますが、一方で30年「エレファントカシマシ」という(良くも悪くも)ある程度レールが定まった活動をしてきて、それを見ていたものだから、ガムシャラ何でもあり新規イケイケ路線にはドキドキしてしまう。
嫌悪感ともまた違う、心配とドキドキさと楽しみと戸惑いとがない交ぜになっています。12日「冬の花」配信開始というのが小さなニュースに吹き飛んでしまいました(笑)。
仮に数年経てば、2018年、2019年(或いはその先)の宮本浩次の活動というのも冷静かつ客観的に見ることが出来るのだろうか?少なくとも今は冷静に思うことは出来ない。ただ目の前の出来事に戸惑いながらも必死について行っている。

俺自身がいわゆる「懐古厨」に属されるであろうことは自覚していて、「エレカシで」「四人で」「アナログで」的な『宮本浩次はかくあるべき』という考えが時代錯誤なのかも、或いはこだわりすぎているのかもしれない。そういった考えの集合知が却って宮本浩次の行動を縛っていて、こういう新展開は宮本浩次が望んでいたかもしれない。去年末からはそんなことも考えていました。時代はどんどん進んで行く。宮本はもっと先を読んで、進んでいるのかもしれない。縛るものをなくすこともロックなのかもしれない。

ソロ活動をしてから、「風と共に」「Easy Go」を聞くと、今の活動を暗示(ないしは決断)しているのかもしれません。答えはだいたい歌の中にあったりするんだろう。

・・・Instagramはじめてしまったら、この先はなんだ、YouTubeで、Twitterで、いや書いたら今の宮本浩次なら何でもありそうなので止めておこう。

宮本浩次、果たして「どこへ?」。そして「どこまで?」。

2月一杯限定でアンケートを作成してみました。


www.youtube.com

『宮本浩次』の新曲「冬の花」がドラマ主題歌へ

宮本浩次の新曲』という表記自体に全く慣れない。

https://www.ktv.jp/gosaigyo/index.htmlwww.ktv.jp


『宮本、散歩中』なるソロ公式サイトも開設されています。やらないとは思うけれど個人のSNS発信はやらないで欲しいと思う。「散歩中」とはいかなる意味か、タイトルからも色々考えてしまいます。
miyamotohiroji.com
ドメイン情報によると、上記ドメインは1月8日に取得。HTMLソースには唯一「キーワード」キーに『エレファントカシマシ』を見ることが出来ます。


冬の花」もそのうち配信開始されて、恐らくはCDも発売されることになると思いますが、CDのクレジット欄を見るのが今から非常に複雑です。ギターにもベースにもドラムにもあの男たちの名前がない。ドキュメンタリーや映像、そしてなにより「想像」していたエレファントカシマシのレコーディング風景がないままの発売。
昨年秋のソロ活動は「共作」だったので、それほどの衝撃はなかったのですが、改めて「宮本浩次」だけという表記には違和感を感じるし、これからのプロモーションも一人だし、音楽番組への出演時も一人やサポートの人とになることに想像しただけで複雑な感情を抱いてしまいます。

昨年末にロッキングオンジャパンを読んで、まあこういう日が来るだろうなとは思っては居ましたが、いざ具体的にリリースになり、『宮本浩次』の四文字だけが披露されているのを見ると、ココロのどこかに今まで抱いたことがない感情がこみ上げてきます。悲しさでも勿論怒りでもないし、ワクワクするけれどどこかゾクゾクするような言葉に出来ない感情です。