エレカシブログ 俺の道

ロックバンド・エレファントカシマシのファンブログ

「地元のダンナ」はその先に何を見るんだろうか?

最近、日中も夜もいわゆる「地元のダンナ」と話すことが多いんですが、鬱屈なんだか卑屈なんだか分からないけれど、まあ言ってることが「どーしてこうなるんだろう」と首をかしげる論理展開になる(そして話が長い)。前の記事でも書きましたが、政治に不満あるなら世の中に堂々と問えばいいし、立候補しちゃっても全然構わないのに、それ以前に前提の知識が間違っちゃってる。


例えば日々流れるNHKのニュース一つとっても、「地元のダンナ」はそれに対して長々と文句や愚痴、不満を言う。ただその文句なり何なりを聞いてると俺自身は内心「いやそれは・・・、このニュースの背後関係はこうなっていて、今日こういうニュースとして流れて、将来的にはきっとこうなる」と思っちゃうんですが、地元のダンナは目の前のニュースに文句を言いたいがために文句を言っているようにしか聞こえない。言うなれば「理論より先に文句」みたいな印象を凄く受ける。


そういう姿を沢山見るたびに「こういう地元のダンナにはなりたくないな」と思うんですが、同時に「いや、120%俺もこういう『地元のダンナ』になるな」って確信を持っちゃうんですよ(笑)。あなたの周りにも沢山いないでしょうか?「若いことは柔軟な考え方と豊富な知識を持っていたのに、年を取ったら・・・」という地元のダンナが。
これはもう歴史の必然というか、これまでの偉人の多くもそうだったように年を経ると物理的に脳が衰えるんでしょうし、知識欲もなくなるだろうし、ココロもカラダも柔軟性が無くなってきて、そして若い頃も抱いていた夢や希望が遠のくと自然と硬直化した「地元のダンナ」になる。そうすると俺も生きてさえ居れば必然的に「地元のダンナ」の仲間入りになる。それにはちょっと抵抗がある。


ただ、それについてはちょっと宮本浩次に望みを託している部分がある。


幸いにも(?)宮本浩次は十数歳も年上で、俺よりも先行して「地元のダンナ」になるんだろうけれど、今のところめちゃくちゃ格好いい。そして考えも柔軟というか、もうとにかくアグレッシブ。あと数ヶ月で49歳になる男が「雨の日も」のように『雨の日も 晴れの日も 歩みを止めません』。あくまでもこれからも歩き続ける宣言。
そして『今年はヒット曲を出して大金持ちになる宣言』。何かセコい技を使っての金持ちじゃ無くて、自分の職業・仕事を全うした上での、正々堂々と戦った上でさらに勝利を目指しての金持ち宣言。こういうことを堂々と言える『地元のダンナ』はなんと格好いいんだろうか、と毎回思う。


宮本浩次がどんな『地元のダンナ』になるかは分からないけれど、きっと歴史上最良な『地元のダンナ』になるような気がしてならない。そしてそんな彼らの音楽や考え方に触れれば、多少なりとも『マトモな地元のダンナ』になれるんじゃないか。最近はそんなことを思います。



「いい風に吹かれていたいですよね。あんまり、きつい風にばかり吹かれていると、人に優しくなれないですね。だからいい風に吹かれるためには自分が意識していい風の吹きそうなところへ自分の身体とか心を持っていかないと。じっと待っててもなかなか吹いてきませんから」

俺が憧れるもう一人の「地元のダンナ」である高倉健さんが生前、2001年のNHKクローズアップ現代にインタビュー出演した際のセリフ。これが含蓄があって中身も的を射ていて、また全体的に粋ですよね。思わず引きつけられてしまう。
「そりゃ高倉健が言ったからそう感じるだけだ」と言われたらそうかもしれないし、多少バイアスがかかってるにせよ、例えば上の文章を電車で横に乗っている見ず知らずの人が話してても「おっ!なんと好いことを言う人だ」って思わずどんな人か見てしまうほどの格好いい文章だと思います。


また高倉健もココロもカラダも最後まで柔軟で。上の文章は高倉プロモーション全面協力の「高倉健 1956-2014」という本にインタビュー自体の全文が掲載されているんですが、その本を読んでいると吉田カバン(PORTER)の社長さんが「高倉さんから依頼を受けて作ったiPadminiのケースです」と載っているんですが、「いや健さんiPadmini持ってたんですか」と(笑)。
この厳しさと優しさと柔軟さと『いつでも上を、最善を、最新を求める姿勢』を持ち、そして男気溢れる生き方というのはどこか宮本浩次に通じるものがあると思うんです。


こういう『地元のダンナ』なら悔いは無い。まあそこまで行けるかとういうのは分からないんだけど、そう心から思います。

永久保存版 高倉健 1956~2014 (文春MOOK)

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