エレカシブログ 俺の道

ロックバンド・エレファントカシマシのファンブログ

六年。

埼玉県の某所のお寺へお墓参り。


大学のサークルの先輩が若くして亡くなってから六年、つまり七回忌。


毎年欠かさず有志でお墓参りはしていた。
「今年は七回忌だからみんなで行くぞー」と同期に声を掛けてみたら
10人ほどドーンと集まった。
サークルの同期は女性陣も3割は居るはずなのに、色々と都合が合わなくて
集まったのは全員たまたま男というむさくるしい集団。
「こうなったらもう男だけで行こう」、僕もある種の決意を決めた。
そして「先輩、男だけですみません」。「お前、男だけ集めすぎだろう!」
そんな声が空から聞こえたような気がした。



六年前。
先輩は進行性のガンに罹患した。
会う度に痩せていった、けれど亡くなるという実感は湧かなかった。
亡くなる直前までメールはしていた。ほんっとに下らないメールを。
だから亡くなったと言われても全く実感がなかった。
今メールをすれば、また下らなくて面白い返信をくれるんじゃないかと。
未だに携帯のアドレス帳から先輩の名前は消していない。消せない。


亡くなっても実感はなかった。でもお通夜に行ったらさすがに号泣してしまった。
泣きじゃくりながらご両親に言葉にならない言葉を話したら、逆にご両親に
励まされてしまった。息子の分まで元気に生きてくれと。
みんなのサークルに入れて、息子は本当に幸せでしたよと。


二十歳過ぎの病気での死は無念過ぎたと僕は思う。今だってどうして先輩が、とも思う。
けれど先輩の真意は分からない。そういう泣き言めいたことは決して言わなかった。
でも、もし先輩が病魔に襲われずに元気に生きられたら、今も生きていたら
絶対に素敵な「大人」に、「先輩」になっていたことは確信を持って言える。
もっと遊びたかった。もっと色々なことを教わりたかった。もっと一緒に居たかった。



先輩の死と「花男」の『生きてる幸せ忘れたか』という歌詞はいつも相乗する。
嫌なことがあった時、逃げ出したくなった時、六年前の悲しみと花男の歌詞を
思い出すと、「なんとかなるじゃないか」「これが失敗しても死にやしない」。
間違いなく今の僕の原動力の一つになっている。その原動力で時に失敗するけど
一つの失敗ごときで人間死にやしないのだ。生きたくても生きられない人も居るんだ。



毎年、お墓参りの度に、手を合わせながら「この一年の報告」と「来年の目標」を
心の中で先輩に伝えている。真面目なことも下らないことも含めて。
そしてお墓の周りを囲むようにして、友達同士で昔を思い出して馬鹿話をする。
僕には信仰心は殆どないけれど、先輩はきっと聞いてくれてるんじゃないか。
「お前ら年を取っても変わらないな」と笑ってくれているんじゃないだろうか。
そんな不思議な感覚が毎回ある。



僕が生きていれば来年もお墓参りに行くだろう。
少しでもいい報告をしたい。少しでも笑えるエピソードを報告したい。
本末転倒と言われるかもしれないけれど、心の片隅でそう思って生きている自分が確かに居る。


真面目なエピソードも馬鹿なエピソードも毎年沢山作って、思わず先輩が
「オマエそんなこともやっちゃたのか!」と困ってしまうほどの報告をしたい。


今日も明後日も来年も再来年もその後も、死ぬまで生きましょう。